1883年(明16) |
11月30日聖アンデレ日に米国シカゴ市セント・ジェイムス教会で聖公会男子12名の同志により「祈りと奉仕」を実践し、男子、特に男子青年の間にキリストの御国拡張を目的とした「聖アンデレ同胞会(The Brotherhood of St. Andrew)」が結成された。 |
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1894年(明27) |
米国聖アンデレ同胞会チャ―ルス・ヱバンス伝道師として来日、奈良ミッション中学校に赴任。 |
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1895年(明28) |
C・H・エバンズ大和国奈良町青山で「聖安得列同胞会ハンドブック」を発行。 |
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1898年(明31) | C・ヱバンスから3代目後任者F・ウッド来日「日本聖安得烈同胞会」を組織し信徒運動を指導。 | ||
1894年(明35) |
第1回全国総会が京都第三高等学校青年会館で開催、「日本聖安得烈同胞会」が誕生,会長に元田作之進、書記に宅間六郎、会計に杉野ナオヒロが選出された。 |
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註: この時点で全国で25支部会員数300名を数えたが、それ以降日本聖公会のどの文書にも同胞会の記録を見出せず、1927年(昭2)ポール・ラッシュが立教大学に聖徒アンデレ同胞会日本支部を結成するに至る25年間の同胞会活動は記録としては空白の時代を迎える。 |
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1925年(大14) |
ポール・ラッシュ日本のYMCA会館再建委員として来日。 |
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1926年(大15) |
P・ラッシュ立教大学教授に就任。 |
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1927年(昭2) |
P・ラッシュによって立教大学に米国聖アンデレ同胞会日本支部が発足し、青年運動団体として結成,会長に根岸由太郎、総務書記カール・ブランスタッド、共同総書記P・ラッシュ、共同書記宅間聖智、チャプレン山縣雄杜三長老を選出。 |
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1928年(昭3) | 第1回日本支部総会開催される。 | ||
1931年(昭6) |
米国聖アンデレ同胞会日本支部は米国から独立し「日本聖徒アンデレ同胞会(BSA)」が発足し、次の役員を選出した。 名誉会長:ジョン・マキム監督 名誉副会長:各教区監督 |
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1932年(昭7) |
日本聖アンデレクロス(後にVISIONと改名)創刊号発行。 |
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1933年(昭8) | 第1回指導者訓練協議会キャンプを御殿場東山荘で開催。 | ||
1936年(昭11) |
同胞会本部事務所を赤坂・聖路加国際病院別館に設置。★設立10周年式典を早稲田大学大隈講堂で挙行。第二代会長に松浦 積(横浜聖アンデレ教会)を選出。 |
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1937年(昭12) |
指導者訓練キャンプ場建設予定地を山梨県北巨摩郡大泉村清里の地に決定。所在地の頭文字を取って「清泉寮」と命名。建設計画趣意書「MEN」を作成し募金運動を開始した。 |
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1938年(昭13) |
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1940年(昭15) |
全国大学に聖公会信徒、二世留学生を対象に学生支部結成を呼び掛ける。慶応(会員28名)、早稲田(18名)に学生支部発足、更に明治、法政と東京、東北、九州の各帝国大学で推進された。 |
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1941年(昭16) |
国際関係が悪化し、外国人聖職は離日勧告され、教会合同問題が起こり、BSA夏季キャンプは中止の止むなきに至る(1946年に復活)。更に清泉寮も閉鎖した。★12月9日ラッシュ教授は憲兵により外国人収容所に抑留された。 |
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1942年(昭17) | ラッシュ教授強制送還となる。 | ||
1945年(昭20) |
ラッシュ教授GHQ参謀第二部の少佐として来日。 |
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1946年(昭21) | 戦後最初の再宣誓式と総会が開催され(池袋神学院)BSA再出発の新役員が決まる。会長小川寛一(第3代)、副会長金子忠雄、財務理事落合勝一郎、主事八木立三。 | ||
1947年(昭22) | 日本聖徒アンデレ同胞会の法人申請が認可され社団法人となる。 | ||
1948年(昭23) | 同胞会機関紙を創刊し、題名を「ビジョン(VISIOV)」と命名する。 | ||
1955年(昭30) |
1月BSA「清里農村センター」は事業拡大に伴う資金需要の増大を一般社会から求めるためと、同胞会は設立目的である伝道事業に専念するために、(社)日本聖徒アンデレ同胞会から分離し、新たに財団法人KEEP協会を設立するための準備委員会を開催した。★7月22日清泉寮に於いてBSA臨時総会を開催し、(社)日本聖徒アンデレ同胞会はその所有にかかる別紙財産目録中記載の運用財産の全部を(財)KEEP協会に贈与することを決議した。★11月11日清泉寮本館全焼。★12月第25総会後の理事会に於いて佐々木順三理事を新会長(第4代)に選出した。 |
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1957年(昭32) |
清泉寮本館が再建され正面入り口に大きなアンデレ・クロスを掲げ清泉量建設の精神の証とした。 |
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1959年(昭34) |
日本聖公会宣教百年記念大会に来日した各国主教を主賓とする歓迎レセプションをキープ協会と共催で国際文化会館で開催、高松宮、三笠宮、吉田元首相、岸首相、各国大使、政財界の名士五百余名が出席。★BSA慶応義塾大学支部を結成、チャプレン竹内謙太郎司祭、支部長辻本 亮。 |
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1960年(昭35) | 清泉寮にアンデレハウス(BSA専用)完成。 | ||
1964年(昭39) |
9月東京教区会館落成に伴いBSA本部を聖路加国際病院構内から同会館2階に移転した。 |
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1965年(昭40) | 機関紙「VISION」発行100号記念を特集(創刊第1号は1948年)。 | ||
1966年(昭41) |
第1回BSAセミナーを東京教区会館に於いて開催、講演者後藤 真主教「欧米教会に於ける礼拝形式の変化」。 |
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1970年(昭45) | 第40総会に於いて役員改選を行い、第6代会長に金子忠雄を、副会長に落合勝一郎、源馬喜久、伊達宗浩を選出した。 | ||
1972年(昭47) |
第42総会に於いて会員3名以下の支部は不成立という支部組織基準が採択され、その結果支部数は半減した。依って3名以下の支部会員は個人会員として本部に登録されることになった。★機関紙「VISION」休刊となる;八木総主事の病気により本部は実務担当者を欠き月間の発行が困難となり172号を以って休刊となった。 |
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1973年(昭48) |
1月本部総主事八木立三病気のため退任。★第43総会に於いて金子忠雄会長より「日本BSAは1970年八木総主事が病床に伏して以来、本部機能は殆ど停止状態にあった。BSA活動の再建のために理事会は、先ず理事会の体質改善と若返りが急務であるとの結論に至った」との総括報告が行はれ、今後の前進のために現理事全員の辞任を前提として再建委員会を組織し、BSA設立の主旨に則り、新しい会運営の検討を依頼したいとの提案がなされた。総会はこれを諒承し、再建委員の選任を会長に一任。 |
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1974年(昭49) |
11月30日第44総会の合意に基づき再建委員会発足。金子忠雄会長は再建委員として、伊達宗浩(委員長)、一ノ宮道彦、工藤俊雄、足立省一郎、黒田哲朗、水谷 満、金子和雄、真々田肇の8名を指名。 |
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1975年(昭50) |
5月定例理事会に於いて再建委員会報告の大綱を了承し、臨時総会の招集を決定。★5月臨時総会で伊達宗浩再建委員長より委員会答申が行われ、満場一致で承認(第1議案;先ず、東京と近郊在住会員の結集のため東京アッセンブリ―の具体的計画、第2議案;財政再建策として現行年会費3千円を5千円に、賛助会費1千円を3千円に改定、第3議案;新役員として理事16名、監事3名の選出)。★新理事会を開き、会長に落合勝一郎(第7代)、副会長に豊原英三、伊達宗浩を選出。★9月機関紙VISION復刊;従来の編集形式を踏襲し4頁、季刊として復刊第1号を発行。 |
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1977年(昭52) |
聖アンデレ日にBSA50周年記念感謝礼拝を東京聖アンデレ教会で挙行、記念説教は竹田 真聖公会神学院校長。 |
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1978年(昭53) | 源馬喜久本部総主事に就任。 | ||
1979年(昭54) | 本会創立者ポール・ラッシュ逝去(12月12日)。 | ||
1981年(昭56) | 第51総会において第8代会長に伊達宗浩、副会長に瀬川義夫、黒田哲朗を選出。 | ||
1983年(昭58) |
8月、米国BSA百年記念式典(シカゴ市)に伊達会長、小川徳治顧問、塩田理事他11名参加。 |
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1985年(昭60) | 第55総会に於いて評議員制の復活(翌年6月発足)、理事定数を12名以内とし8名を評議員会推薦、4名を当期理事会推薦とする議案を可決。 | ||
1988年(昭63) | BSA信徒叢書を文書伝道活動の一環として創刊号竹内 寛著「聖公会という名の教会」(新書版18頁4800部)を創刊。 | ||
1992年(平4) | 第1回BSA研修ツアー2泊3日「みちのくの切支丹遺跡を辿る旅」を催行、講師・先導国見 登。 | ||
1994年(平6) | 吉川 誠本部常勤事務主事に就任。 | ||
1996年(平8) | 本部事務部門の強化を図り総主事に吉川 誠、事務主事に岩下 博を選任。★武藤京都教区主教を長年の尽力に感謝し名誉チャプレンに推戴。 | ||
1997年(平9) |
設立70年を記念し「日本聖徒アンデレ同胞会史」を刊行(B6版上製本216頁1千部)。★BSA設立70年記念感謝聖餐式(立教学院諸聖徒礼拝堂);司式竹内謙太郎本部チャプレン、補式下條裕章本部チャプレン、記念説教田崎安男主教。★ポール・ラッシュ生誕100年記念事業が11月25日を中心に各地で開催された。 |
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2000年(平12) | 支部の会費納入方法変更を理事会決定;支部会員個人が直接本部に納入し、その金額の一部(20%)を支部活動援助金として還元する。★伊達宗浩会長の辞意を受けて翌年の任期満了まで会長代行を寺内安彦理事に委嘱することを理事会決議。★同胞会辞典祈祷文の抜粋を口語化して刊行。 | ||
2001年(平13) | 聖路加国際病院創立100周年記念行事挙行、創立者トイスラー博士の記念碑を庭園内に建立。★第71総会に於いて新理事会は寺内安彦会長代行を会長(第9代)に選出、財務担当副会長黒田哲朗理事、事業担副会長倉石 昇理事を再任した。 | ||
2002年(平14) | VISION復刊100号(通算271号)記念号8頁を刊行。★ポール・ラッシュ博士長編伝記アニメ映画「夢かける高原」清里の父ポールラッシュ(監督出崎 哲)が完成。 | ||
2003年(平15) | 銀座朝祷会30周年記念会を超教派参加者により聖アンデレホールで開催(世話人代表吉川 誠BSA理事主宰)出席者51名。 | ||
2004年(平16) | キープ協会新総合計画「KEEP For the Future」建設資金募集の日米合同募金委員会発足発表会を六本木ヒルズ内のハリウッド美容学院大ホールで開催、募金目標12億円。 | ||
2005年(平17) |
開催中のBSAアッセンブリー参加者一同清泉寮に於いて立教大学、キープ協会と合同で訪日中の米国聖公会総裁主教フランク・グリスウオルド師及び同行の代表団と合同会議を開催、席上寺内安彦BSA会長よりグリスウオルド主教にBSAバッジを贈り、日本BSA名誉会員に推戴した。 |
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2007年(平19) |
銀座朝祷会700回記念夕祷・講演会を聖アンデレ教会で開催;1973年に東京教区成立50周年記念事業の一環として第1回を開いて以来2月27日の朝祷会で700回目を迎えた。記念夕祷会司式佐々木 庸チャプレン、講演会講師森 弘一カトリック教会司教(参加者60名)。 |
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註:1996年までの年表は「日本聖徒アンデレ同胞会史(1997年5月31日発行)」の年表より抜粋した。 |